ご無沙汰しております。
久々にスポンサー広告を出してしまいました。

開設15年の記念日?が昨日終わっていたことに、
今頃気づいてがっくりきております、togaです。
とりあえず元気です。

長々放置した理由が気になる方は、続きをどうぞ。
ものすごーーーーーく長いです。
IGやFBをご覧の方はご存知かと思いますが、
6月のはじめに、父が亡くなりました。

春先から体調を崩し、4月に検査を受けて末期の食道がんと判明。
既に肺にも広がっていて、手の施しようがない状態でした。
家族で相談し、治療は苦痛を和らげるものにとどめ、
やりたいようにさせることにしました。

GWには一時退院し、
我が家と妹一家が集まってにぎやかに過ごしました。
父は既に食べること(流動食)もままならず、
起きていても寝ていても辛そうだったけど、
それでも病院に帰るとは言いませんでした。
孫たちに囲まれて過ごし、
時には少しだけお酒を飲んだりもしました。

GWが終わって検査に行くと、
体力が落ちているというのでそのまま入院。
その後、会いに行くことができずにいるうちに、
どんどん父は弱って行ったようでした。

6月に入ったばかりのある日、
職場に母から連絡が入りました。
いよいよ時間の問題になってきたから、
合わせたい人がいたら呼ぶように言われた・・・と。

その夜、帰宅した夫と父の病院に向かうと、
既に父の意識は薬のため朦朧としていました。
数時間前、妹一家が到着した時にはまだ意識があり、
その面会が終わるのを待って薬を投与したとのこと。
父は名残惜しそうに甥と何度もハイタッチをしていたと、
後で母が話してくれました。

明けて、翌日。
母が雑務のため帰宅する間、
夫と私が父に付き添っていました。
ある時、朦朧としながらも苦しくて咳き込んでいた父が、
急にぱっ、と我に返ったようになりました。
そして正面にいた夫に気付くと、
いつもの調子で、ぺこりと会釈。
その後、何か言いたげな顔で私の顔をしばらく見ていました。
それは、朦朧としていたさっきまでの父ではなく、
元気だった頃の、いつもの父でした。

挨拶は済んだ、と思ったのでしょうか。

それから父の容体はどんどん悪化し、
その日の夜、とうとう帰らぬ人となりました。

わがままで自分勝手だったけれど、
誰よりも他人に気を使う人だった父。
自宅に戻った父の枕元で皆が話すのは悪口ばかり(笑)
でも、最後にみんなこう言います。

「わがまま放題して、全部それが通ったんだから幸せだよね」

今だから笑い話になるけれど、
とんでもない武勇伝もたくさん出てきたし、
父の友人からは独身の頃のぶっちゃけトークも。
どれも父らしいエピソードばかりでした。
悲しいとか、さみしいとか、
そういう感情は全くと言っていいほど湧きませんでした。

その後、葬儀やら手続きやらでバタバタしながら、
妹や甥姪、父を一番かわいがってくれた伯母と、
一週間ほど実家で過ごしました。

その後、それぞれが自宅に戻り、それぞれの日常へ。

先日、少し早めの四十九日と納骨も済ませ、
父は新居?へと引っ越しました。
無事に見送ることができて、まずはホッとしています。

これまでは気忙しくてミシンどころではなかったけれど、
(と言いつつInstagramは通勤中とかに更新してましたが)
やっと落ち着いてミシンを踏む余裕も出てきました。
更新用のネタもぼちぼちできてきたので、
次はまた、いつものように縫い物ネタでもアップしたいと思います。
長々とお読みくださってありがとうございました。
  

よかったらポチっとお願いします。
にほんブログ村 ハンドメイドブログへ
にほんブログ村
テーマ:日記
ジャンル:日記
コメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事へのトラックバック